秋田研修旅行の報告
勘定組頭森田岡太郎清行の従者として万延元年遣米使節団に参加した三浦東造道賢の出身地の秋田県由利本荘市矢島町で、2023年11月5日に歴史講演会( 「歴史の闇に葬られた万延元年遣米使節」~小栗上野介の日本近代と矢島の三浦東造~)が三浦東造の菩提寺である高建寺の佐藤成孝住職のご尽力により開催されました。 当会はこの機会に秋田研修旅行を企画し、一泊二日で三浦東造の生家を訪問させて頂き、東造が書き残した航海日誌の閲覧・東造の墓碑参拝・高建寺参拝・歴史講演会参加他を、無事に実施しました。
(1) 懇親会が宿泊ホテルの「フォレスタ鳥海」の宴会場で開催
開催日時:2023年11月4日(土曜日)午後6時~
参加者: 当会会員及びご家族他:10名、 当会役員及びご家族10名 合計:20名
万延元年遣米使節子孫の会懇親会は、三浦家の方々と高建寺により主催して頂き、歓迎のご挨拶は三浦治部之助家(屋号)の第50代当主の三浦和彦様から、子孫の会代表の挨拶は長野和郎代表理事、乾杯の発声は三浦俊朗様から頂き、米どころの秋田の慣習に従い乾杯は純米吟醸酒で始まりました。 中締めは、講演会講師の村上泰賢様にて終了。
(2) 三浦東造の「航海日誌」及び過去帳の閲覧・東造の墓碑参拝
開催日時:2023年11月5日(日曜日)午前9時~10時30分
三浦東造の生家(秋田県由利本荘市矢島町)を訪問、東造が書き残した「航海日誌」の写本(第三巻と第五巻)と三浦家の先祖累代過去帳を閲覧し、近くにある三浦家の墓地にある東造の墓碑を参拝しました。
「航海日誌」は第1巻~5巻まで保存されていたが、生家で発生した火事で第1巻~2巻と4巻は焼失した可能性が高いとのことでした。 三浦家の家屋の外側にある柱には、最近出没する熊の爪跡が残っていました。
三浦家先祖累代過去帳に東造の戒名が「良忠院民按喜峰居士」と記載されていますが、これは帰国の途中に眺めた南アフリカの喜望峰から二字を取ったと言われています。
(3) 高建寺を訪問
開催日時:2023年11月5日(日曜日)午前11時~12時30分
高建寺は、三浦治部之助家の菩提寺です。 1427年に傑堂能勝禅師によって開創され、 福井県永平寺、横浜市総持寺を両本山とする曹洞宗寺院です。 立派な山門や庭園を拝見させて頂いた後、本堂は佐藤成孝住職にご案内頂きました。
昼食は境内にて、秋田名物のキリタンポをご馳走になりました。
(4) 歴史講演会 ~歴史の闇に隠された万延元年遣米使節~
開催日時:2023年11月5日(日曜日)午後1時~3時45分
開催場所:矢島町コミュニティーセンター日新館(秋田県由利本荘市矢島町七日町)
主催:矢島町 高建寺 協賛:由利本荘市文化財保護団体連合会
後援:由利本荘市教育委員会
13時、満員となった会場で開会式が開かれました。冒頭、挨拶に立ったのは、秋田県由利本荘市教育長の秋山正毅氏。引き続き、秋田県議会議員・三浦英一氏による祝辞がありました。次に司会者より、一般社団法人遣米使節子孫の会の参加者、長野代表理事、宮原代表理事、柳原理事、堀理事、永野理事、稲松会員、三浦俊朗会員、三浦敏会員が紹介され、午後1時15分から第一部の講話「三浦東造(蔵)の渡米前の事情」が始まりました。講師は、三浦東造の菩提寺である高建寺住職の佐藤成孝様です。
三浦東造は矢島町の大名主でしたが、幼い嫡子に家督を譲って江戸へ上り、旗本・大竹伊兵衛家の家臣となります。その後、詩文と和算の能力に優れた東造は、使節ナンバー4の勘定方、森田岡太郎の従者として遣米使節一向に加わり、帰国後の慶応元年(1865)9月、46歳で没しています。三浦が書き記した「航海日誌」の第三、五巻は、今もその写本が三浦家に現存しています。
14時から の第二部は、群馬県高崎市の東善寺住職 村上泰賢氏による講演「日本の運命、幕府の運命―小栗上野介の日本の近代化―」 が開催されました。
小栗公はご存じの通り、遣米使節ナンバー3の優秀な開明派の幕臣です。帰国後わずか数年で横須賀製鉄所、フランス式軍隊、日本初の株式会社制度等を導入して日本産業革命のさきがけとなりました。富岡製糸工場は、横須賀製鉄所を手本に建てられた近代的な施設のひとつです。
小栗公は慶応3(1867)年の大政奉還で幕閣をお役御免となり、所領地の高崎に隠遁しました。しかし、慶応4(1868)年4月、新政府軍にとらえられ、罪なくして翌日斬首されました。享年42歳でした。
村上住職からは、小栗公による多くの功績が紹介され、日露戦争後、東郷平八郎が小栗公の子孫を訪ね「日露海戦勝利は小栗公のおかげ」と謝意を示した話や、明治、大正にかけ総理大臣を務めた大隈重信が、「明治新政府の政策は全て小栗の模倣に過ぎない」と言ったエピソード等が語られました。会場は熱気にあふれ、参加者の方々が真剣に耳を傾けておられる姿が印象的でした。
報告取り纏め:長野和郎