佐野鼎顕彰碑完成お祝い会に、当会代表理事、幹事が出席しました

2021年10月19日午後、JR 新富士駅において、 小長井義正氏(富士市長)、丹呉泰健氏(開成学園理事長・元財務事務次官)等が列席され、佐野鼎の顕彰碑除幕式がとり行われました。
除幕式後、佐野鼎顕彰碑完成お祝い会に宮原万里子代表理事、柳原三佳幹事が出席し、当会から顕彰碑建立に尽力した佐野鼎研究会に祝辞とともにお祝いの花をお贈りしました。

左から柳原三佳幹事、松平和也佐野鼎研究会会長(当会会員)、
宮原万里子代表理事、稲松孝思氏(当会会員)

佐野鼎顕彰碑の碑文

佐野鼎先生は、文政十二年(一八二九)駿河国富士郡水戸村(現静岡県富士市)に生まれた。長じて江戸に出て幕臣下曽根信敦の塾で西洋砲術を学び、その塾頭を務めた。また、長崎海軍伝習に参加し、蒸気船の運用や航海術を学んだ。
 安政四年(一八五七)加賀藩に召し抱えられた。万延元年(一八六〇)遣米使節に随行して渡米し、ついで文久二年(一八六二)遣欧使節に随行して渡欧した。両度にわたる海外経験を経て、帰国後は新進気鋭の洋学者として加賀藩に重用された。
 維新後は、明治三年(一八七〇)兵部省に出仕した。明治四年(一八七一)神田淡路町に共立学校を創立し、英語教育を中核に据え、新たな人材の育成に心血を注いだ。しかし、明治十年(一八七七)病に倒れ、志半ばにして死去した。
 共立学校は、佐野鼎先生の死後、高橋是清先生がその運営を継承した。明治二十八年(一八九五)校名を開成と改め、大正十三年(一九二四)校舎を日暮里に移転し、現在の開成学園に至っている。

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