子孫の会主催「横須賀製鉄所創設150周年記念展見学」及び「秋の講演会」
2015年秋は、小栗上野介により計画された横須賀製鉄所の創設150周年記念展が、横須賀市内の戦艦「三笠」(三笠公園)及び横須賀市自然・人文博物館で開催されており、当会として恒例の秋の講演会を横須賀市内にて平成27年10月31日(土)に開催した。
(1)三笠公園の三笠記念艦での特別展示見学 参加者:15名
- 時間: 午後10時30分~11時30分(午前10時 横須賀中央駅前集合)
戦艦「三笠」内の記念展会場にて横須賀製鉄所と日本海海戦、横須賀製鉄所の設計技師のヴェルニーと小栗上野介について、解説パネルや当時の写真を見学した。万延元年遣米使節団が米国滞在中に米国海軍工廠他を視察して得た基本知識が、横須賀製鉄所計画にいかに反映されているかを理解できた。
(2)横須賀市自然・人文博物館特別展示見学 参加者:18名
- 時間: 午後1時~1時50分
- 展示名:横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念展「すべては製鉄所から始まった―Made in Japanの原点―」
横須賀市自然・人文博物館の安池学芸員(当会特別会員)により、横須賀製鉄所創設150周年記念展の解説をして頂いた。万延元年遣米使節のコーナーには、正使新見正興の遺愛品(真鍮製老師置物、狸置物、真鍮製煙草盆)、新見家供侍毛槍、新見正興の和歌短冊が展示されており、副使村垣家の家紋旗(白鳥幸雄氏所蔵)、村垣家の系図(村垣正澄氏所蔵)、松山吉次郎好徳直筆「航海記」(牧野昭一氏所蔵)、広瀬格藏著「環海航路新図」・「環海航海路日記」(牧野昭一氏所蔵)他本邦初公開の品々が展示されていた。今回の特別展示の全てを50分では見学することは出来なかった。来年1月31日まで開催されているので、改めて来館すると全体を把握できると安池学芸員からアドバイスがあった。
(3)講演会「トミーと呼ばれた少年通訳」 参加者:18名
- 時間:午後2時~3時30分
- 場所:横須賀市文化会館 第二会議室
- 講師:立石斧次郎の直系曾孫 長野和郎
立石斧次郎のユニーク且つ多難な生涯につき調査研究した資料に基づき解説した。
幕府の無給見習い通詞として伯父の立石得十郎の養子として、幕府へ嘆願書を得十郎が提出して遣米使節団への参加が承認された。遣米使節団に参加当時は数歳で17歳の好奇心旺盛な少年の存在については、1960年の遣米使節100周年までは氏素性が一般には知られていなかった。
東大の故金井圓教授が万延元年史料集成を編集する為に、1860年当時の米国での遣米使節に関する新聞記事からトミーの存在が徐々に明らかになり、更にその後1980年には、一躍米国で人気者になったトミーの「トミーポルカ」(舞踏曲)の楽譜を、米国人の古文書収集家が米国内で発見し、開館予定の横浜開港記念資料館へ贈呈されることをスクープした毎日新聞の記者が社会面に記事にしたことがきっかけで、トミーの外孫の櫻井成廣氏(青山学院大学名誉教授)が同記事を見て、トミーの生涯につき年譜を公表したことにより、金井圓教授他により学術研究書やノンフィクション小説等が出版され一般世間にトミーの存在が明らかになった。
戊辰戦争では旧幕府歩兵将校として大鳥圭介や土方歳三と共に西軍(官軍)と戦ったが、明治維新後には長野桂次郎と変名して、岩倉具視使節団の外務省二等書記官通訳として再び渡米して欧州に向かう前には工部省鉱山寮7等出仕へ転属され、英国の鉱山の視察等を行い、帰国後は国内の鉱山の点検を行い、ハワイでの移民監督官を務め、大坂控訴院の通訳官を明治42年まで務めて引退した。隠居場は西伊豆の戸田にある沢見地区にあった。大正6年1月13日に同地にて亡くなった。
(4)懇親会 参加者:20名
- 時間:午後4時~6時30分
- 場所:「瓦カフェ&ダイニング」
- 参加者:(子孫の会会員及び特別会員)村垣孝会長、塚原辰二様、村垣正澄様、宮原万里子様、岩本美和子様、永野努様、村垣祥子様、小花和平一郎様、小島昌子様、柳原三佳様、柳原様のお母様、佐野良彦様、辻丹美様、吉田哲子様、根津和美様、前田和子様、長野和郎、安池尋幸様、小林賢吾様
※佐野良彦様及び安池尋幸様はお仕事の関係で懇親会のみご参加されました。また今回は、古文書研究家の友澤弘様が午後の部から懇親会まで特別にご参加されました。