万延元年遣米使節子孫の会の皆様
この度は、皆さまのご尽力により、芝公園内にある万延元年の幕府遣米使節団の記念碑に、説明の英語訳が設置されたと伺いました。このことに心からのお慶びを申し上げたいと思います。
万延の幕府遣米使節団は、教育ある日本人が公式に、産業革命の最中にある西洋文明を視察した最初の機会であり、我が国のその後の近代工業文明の摂取の原点となる事業でした。その意義は、工業文明が欧米から日本を経て全世界へと広がった今日、重くなるばかりであります。そのような遣米使節団の事跡が、今日の東京を訪れる多数の外国のお客様によりよく知られ、理解される契機となる記念碑の英文説明は、大洋を越えて未知の大国を訪ねた皆さまのご先祖に当たる幕臣たちの壮挙に対する、これ以上はない顕彰と言わなくてはなりません。まさに貴会設立十年に相応しい事業であり、またコロナ禍の中でこのような事業が成し遂げられたこと自体、特筆に値します。
徳川宗家の後裔として、また万延の遣米使節団の恩恵にあずかる一人の日本人として、心よりの御礼と、重ねてのお慶びとを申し上げたいと思います。
令和2年7月10日
徳川家広
万延元年遣米使節子孫の会の皆様
このたび、貴会が活動10年記念事業として準備を進めてこられました、都立芝公園10号地内の「万延元年遣米使節記念碑」への英語訳説明板設置が無事に完了しました事、誠におめでとうございます。
万延元年(1860年)に幕府の命により米国との日米修好通商条約批准書交換を主なる目的として渡米した万延元年遣米使節団は、正に我が国における初めての公式外交であり、使節団によって持ち帰られた多くの見聞と経験はのちに明治維新の外交や文明開化に大きな影響を与えました。そしてこの歴史は現在の日米両国民友好の礎となる偉業としてしっかりと後世に受け継がれるものであります。
もしコロナ禍の影響がなく東京五輪・パラリンピックが予定通り開催されていれば、今ごろは米国をはじめ多くの海外からの来訪者が、貴会の設置した英語訳説明板を目にして、「万延元年遣米使節」の活躍を知り自国で伝え広めてくれる事に繋がっていたかと思うと少し残念でありますが、それでもこの取組が、今後これまで以上に多くの人々が「遣米使節」の活躍に触れるきっかけとなることは間違いないと確信します。
東京都や港区もコロナウィルス感染収束後には、再びインバウンド獲得に力を注ぎ観光の活性化に取り組んでまいります。
その際には、幕末の歴史の転換点に影響を与えた大きな事業として港区内にある他の歴史遺産とともに「万延元年遣米使節」の偉業を伝えていくよう働きかけをしてまいります。改めて英語訳説明板のお披露目会が開催される折に、皆様とお目にかかれることを楽しみにしております。
最後に、貴会の記念事業に関われる貴重な機会を頂きました事に感謝申し上げますとともに、貴会のますますのご発展と会員皆様のご健勝を祈念申し上げ、メッセージといたします。
東京都議会議員 菅野 弘一
万延元年遣米使節子孫の会の皆様
増上寺前、都立芝公園の一角、区民そして国の内外から観光にビジネスにと訪れる大勢の人々が行きかうこの地に、日米修好通商条約の批准書を交換するため竹芝の地を出港した万延遣米使節記念碑が建立されたのは、遣米使節渡航から百周年にあたる1960年。それから半世紀以上の月日が流れ、この度万延元年遣米使節子孫の会の皆様より英語訳説明板を新たに設置の上、ご寄贈をいただきましたこと誠に感謝に堪えません。また皆様のここに至るまでのご労苦に心からの敬意を表させていただきます。
本来であれば、にぎにぎしくお披露目の会を催される予定とうかがっておりましたが、今般の社会状況を鑑み延期なされたとのことです。新型コロナウィルス感染症が収束をした折には、改めまして多くの方々に新設された英語訳説明板とそして、万延元年遣米使節の壮途に思いを馳せていただく機会が設けられますことを願っております。
港区としましてもこれを機に港区観光協会とともに、港区の観光資源として広くご紹介をさせていただき、観光のために訪れる皆さんはもとより、区民また港区に育つ子供たちに、今日に至る日米関係の礎たる万延元年遣米使節の偉業を伝えて参りたいと考えています。
万延元年遣米使節子孫の会のご発展と会員皆様のご健康とご多幸を心より祈念し、ご挨拶とさせていただきます。
港区議会議長 二島豊司
祝辞
一九六〇年六月、日米修好通商百年記念行事運営委員会が、条約締結二年後の万延元年に派遣された遣米使節百年の記念碑を建立したことは、関係された方々の卓見を示すものです。日本とアメリカ合衆国が人と物との往来を開始するために通商条約を結んだとき、幕府はむしろ積極的に条約批准書交換のために日本から使節を派遣することを希望しました。それにより、当時の幕府の担当者たちは、新しい政治外交・経済・社会を迎えることへのなみなみならぬ決意を表したのです。
それから六〇年を経て、日米をはじめとする世界はグローバル化を進展させ、遣米使節の足跡も情報システムによって居ながらにして確認できるようになりました。こうした日米関係の先駆けであった使節について英文で語る説明板が、万延元年遣米使節子孫の会の尽力で実現したことは、この記念碑を訪れる世界中の人びとが使節の決意と希望を知り、それが現在と将来の礎であることを理解する助けとなるもので、まことに意義深いものです。ながく人びとの記憶に生きることを願っています。
横山伊徳
万延元年遣米使節記念碑の英訳説明板の建立によせて
この度、万延元年遣米使節記念碑に添えて、英訳説明板が新設されたと伺い、心よりお祝い申し上げる次第です。訪れた国内外の方々に、その史実と歴史的な意義がこれまで以上に広く深く伝わることを期待いたします。
私は外交史や対外関係史を専門にしているわけではありませんので、万延元年遣米使節について真正面から研究したわけではありませんが、ご縁があって2015年に万延元年遣米使節子孫の会の皆様の前で拙い講演をさせていただいたことがありました。私の関心は「明治維新後に旧幕臣たちはどうなったのか」ということですので、その際の講演のタイトルも「維新後の万延元年遣米使節団の人々」というものでした。講演内容は重箱の隅をつつくようなものだったと思いますが、私にとって、遣米使節の団員だった一人一人の人物がたどった、その後の多様な生きざまを追うことは誠に興味深いものでした。
以前私が長く勤務していた職場があり、故郷ともいうべき静岡県沼津市には、外国奉行支配組頭として使節一行に加わった成瀬善四郎正典の墓石が残っています。維新後に徳川家に随従し駿河に移住した彼は、明治2年(1869)に沼津において49歳で病没したのでした。幕府瓦解を見送り、自らもひっそりと世を去ったことになります。いや、ひっそりではなく、同地には静岡藩沼津兵学校の教職員・生徒となっていた親類矢田堀鴻・田辺太一・浅井道博・石井至凝らがいましたので、彼らに看取られたのかもしれません。残念ながら墓は現在無縁になってしまっていますが、お寺にお願いし是非とも後世にまで保存してもらいたいと思っています。
大きな観点からする研究や評価はもちろん大切ですが、瑣末な史実の確認や小さな発見も不可欠なことだと思います。今後とも顕彰活動が続けられることはもとより、個々の人物の追跡や資料調査についても少しずつでも進展することを期待したいと思います。
樋口雄彦(国立歴史民俗博物館)
万延元年遣米使節記念碑の英訳説明板の建立によせて
万延元年遣米使節子孫の会各位
この度、芝公園内にある万延元年の幕府遣米使節団の記念碑に、説明の英語訳が設置されましたことを、心からお慶びを申し上げます。
貴会の今般のご努力は、街の一角の小さな出来事にてはなく、日本近代史の流れの中の大切な事績を、海外の人々にも広く明らかにする、まさに壮挙と言うべきことと存じます。
ポーハタン号より今日まで、日米の関係はけっして友好の時ばかりではありませんでし
たが、その交流の初期において、このような事績があったことを日米両国民が相互の言葉で、共に振り返ることは、将来の両国の関係に寄与するものと固く信じる次第です。
また、同じ幕臣子孫の立場として、近代日本の夜明けに活躍した多くの幕臣の事績が埋もれゆく中で、これらを顕彰いただくことの意義も、まことに大きいと存じます。
ここに貴会のご努力に深甚の敬意を申し述べる次第です。
柳営会会長 植村泰佳
祝辞
今回、芝公園内にある万延元年の幕府遣米使節団の記念碑に、説明の英語訳が設置されたことに対し、 心からのお慶びを申し上げます。万延元年遣米使節は、我国最初の公式訪問団として、参加者全員がアメリカの進んだ文化を詳しく調査し記録し体験し帰ってきました。この事は、我国が、多くの事を巻き返す起爆剤になったものだと思います。使節団の随伴艦として参加した咸臨丸は、冬の嵐の太平洋をサンフランシスコに渡り、痛んだ船を、 米海軍工廠の、最新ドックの設備や機器を使いながら、整備をしました。これが、日本人として、初めての蒸気帆船の修理で、此所で経験した事や、その後の航海が、日本の舟運や工業技術の礎になりました。この度芝公園に設置されている 100 周年記念碑に英語訳板を作られたことは正しい歴史を語る活動を広く外国人にまで広げて行こうとする活動であり、大変すばらしい事と感じ心よりお祝いを申し上げます。
咸臨丸子孫の会 会長 藤本増夫
万延元年遣米使節子孫の会の皆様
日米安保条約改定の年に建立された遣米使節記念碑を60年の長きにわたり見守られてきた子孫の皆様に心から敬意を表します。
また、この度の英語説明版の設置には行政との折衝など大変なご苦労があったものと思われます。
歴史上の偉業もそれを裏付ける記念碑や資料館の存在がなければ、やがて風化し忘れ去られることになるでしょう。
子孫の会の皆様がワシントンや東京で遣米使節記念碑、説明板を建立し寄贈されていることは、日米両国の友好の絆を後世に伝える証しとして、歴史的事業といえるでしょう。
今後の子孫の会の皆様のご活躍をご祈念申し上げます。
佐野鼎研究会代表 松平和也
同世話人 内藤 徹雄