米国海軍フリゲート艦「ナイアガラ号」
ニューヨークから大西洋を横断して東回りで日本まで航海した、蒸気スクリュー式米国海軍フリゲート艦「ナイアガラ号」の排水量は5,540トンで、1857年4月に米国海軍ニューヨーク造船所にて建造された。1860年当時、「ナイアガラ号」は米国海軍が保有する軍艦で一番大きな艦船であった。
「ナイアガラ号」は、遣米使節団一行をニューヨーク~大西洋~サンヴィンセン島のポルト・グランデ、ロアンダ(現アンゴラ)~インド洋~バタビア(現ジャカルタ)~香港~日本(江戸品川沖)まで運んだ。
また「ナイアガラ号」は、大西洋横断通信ケーブルの敷設作業に従事していたことが判明した。1857年、大西洋の真ん中で、英国の「the HMS Agamenon」と合流して、アイルランド南岸から敷設したケーブルと「ナイアガラ号」が、ニューヨークから敷設してきたケーブルと接合した。しかし、ケーブルが切断して失敗したため、1858年8月に再挑戦して大西洋横断ケーブルの敷設を行ったが、またもや失敗した。最終的にはケーブルが改良された後、1866年7月13日に商業運用が開始された。
- 赤線:「ポーハタン号」(途中ハワイとサンフランシスコに寄港してパナマまで)及び「ロアノーク号」の航路(アスピンウオールからサンディーフック沖経由ハンプトン・ローズまで)
- 緑線:「ナイアガラ号」(ニューヨークを出港して途中サンヴィンセン島のポルト・グランデ、ロアンダ、バタビア、香港に寄港後江戸品川沖まで)の航路
- 黒線:「咸臨丸」の航路