米国海軍フリゲート艦「ロアノーク号」

アスピンウオール(現在のコロン)からカリブ海を経てニューヨークのサンディーフック沖に投錨後、ヴァージニア州のハンプトン・ローズのモンロー砦まで乗船した米国海軍蒸気スクリュー式フリゲート艦「ロアノーク号」(4,772トン「排水量」)

USS Roanoke(1857-1883)DEPARTMENT OF THE NAVY - NAVAL HISTORICAL CENTER
USS Roanoke(1857-1883)
DEPARTMENT OF THE NAVY – NAVAL HISTORICAL CENTER

ヴァージニア州のポーツマスにあるゴスポート(ノーフォーク)造船所で1857年に建造された。

パナマ鉄道とアスピンウオールについて

ウイリアム・ヘンリー・アスピンウオール
ウイリアム・ヘンリー・アスピンウオール

ウイリアム・ヘンリー・アスピンウオール(William Henry Aspinwall,1807-1875)は、アメリカ第26代大統領セオドール・ルーズヴェルトと、第32代大統領フランクリン・ルーズヴェルトの曾伯父にあたる人物であった。また、アスピンウオール帝国と云われる程の大富豪で、ニューヨークのメトロポリタン美術館の創設者の一人であった。

さらに彼は永く海軍、郵政省とも関係を保ち、パナマ横断鉄道の創設者となっただけでなく、1914年に、セオドール・ルーズヴェルト大統領の時代に完成を見た「パナマ運河」の建設にも関係した。

1846年の米墨戦争後、カリフォルニアやオレゴン地方の人口の急増に伴い、東西大陸間のコミュニケーションの重要性が問われることとなった。アスピンウオールはパナマ地峡に700万ドルを投入、1850年から、5年の歳月をかけ、約5,000人の犠牲者を出しながら、1855年1月27日「パナマ鉄道」を完成させた。

それは、コロンビア、アイルランド、中国からの労働者が、熱帯地帯の湿地で、マラリア、黄熱病と戦いながら過酷な労働条件のもと工事を行い、完成した鉄道であった。一本のレールに一人の犠牲者と云う程の難工事であったらしい。

万延元年「遣米使節団」76名が、1860年4月にアメリカの蒸気船“ポーハタン”でサンフランシスコ経由でこの地を訪れ、この鉄道を利用して東部に旅行している。その半世紀後の1914年に「パナマ運河」が完成した。因みに、パナマ鉄道は現在でも、パナマ運河沿いを走り続けている。

当初米国海軍は、遣米使節一行をニューヨークで上陸させ陸路ワシントンへ向かうべく、「ロアノーク号」 はニューヨークを目指してサンディーフックに向かった。しかし、ワシントン政府当局から、あくまでも海路及びポトマック河経由ワシントンへ向うように指示が出された。当時陸上での通信手段はテレグラム(電信装置)があり、ワシントン側との連絡はサンディーフック砦から交信した。