五味安郎右衛門張元(当時61歳)- プロファイル

五味安郎右衛門張元 写真

米国にて撮影(五味秀樹様所蔵)

山梨県南アルプス市藤田の出身。五味安郎右衛門張元(長元とも)は、甲斐国藤田村の長百姓五味作右衛門秀敏の次男として1800年に同地で生まれた。五味家は武田家臣の土佐守長遠を祖とし、江戸期には国学者や俳人を輩出している。

万延元年遣米使節団には当時61歳の五味張元が、勘定組頭森田岡太郎清行の従者として参加した。甲斐国市川の代官を務めた森田の誘引推挙により、縁戚の代官所典医広瀬格造包彰と共に加わった。

渡航中には「亜行航海日記」を書き残している。同日記は原本の他、1990年に山梨学院大学にて茂野隆晴・立川章次編で翻刻されている。日米国旗、ワシントン地図、米国地理の教科書、避雷針、ギヤマン製文鎮、入れ歯等多くの将来品が子孫家に伝わっている。

帰国後は生地での家業に戻り、維新を経て明治中期の1890年米国から帰国後30年、91歳で逝去した。墓所は、山梨県南アルプス市鏡中條700の同家菩提寺の長遠寺にある。